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白銀坂は、姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。
この坂のある山並みは、古代〜近世における薩摩国と大隅国の国境でした。
戦国時代には、島津貴久や義弘といった武将たちが、
この坂に陣を構えて、蒲生氏と対峙したといわれています。
江戸時代に入ると、白銀坂は鹿児島の主要街道である
「大口筋」上の難所として、多くの人々に知られていました。
古河古松軒が天明3年(1783)に記した『西遊雑記』では、
「予諸州にて険しき坂越えもせしに、所によりては茶屋もあり、
休足すべき人家もありて退屈もせざりしに、
この白銀坂は三里の間は休むべき所もなく、
往来も稀の坂道、心ぼそく思いし事なりき」
と書かれています。
同じく江戸時代に書かれた『三国名勝図会』には、
「白銀坂 脇元村白銀山中にあり、薩隅の大道にて、
本府より行は、降坂なり、坂の長さ一里に近し」
とあり、坂の全長は約4kmであったことが分かりますが、
現在ではそのうちの約2.7kmが残っています。
【白銀坂ルート図】
坂の高低差は300m以上あり、
中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所もあります。
急な坂道部分には石畳が敷くのとは対照的に、
尾根上の平坦部分には石段を部分的に設けるのが白銀坂の特徴です。
明治5年(1872)、明治天皇の行幸に伴い、
鹿児島から田ノ浦まわりで磯島津家別邸までの新道が開通し、
翌明治6年にはさらに姶良町重富まで延長され、現在の国道10号になります。
そして、明治34年(1901)、鹿児島〜国分間の鉄道開通によって、
白銀坂はその幹線としての役割を終えることとなりました。
その後、白銀坂は地域の人々の利用も少なくなり、次第に忘れ去られ、
長年の風水害により石畳も大変傷んでいました。
市教育委員会では、歴史的に貴重なこの道をできるだけ保存しながら、
歴史を追体験できる場所として活用できるよう、
平成8年度から平成15年度までの期間で、
国や県の補助を受け,
「歴史の道整備活用推進事業」を実施しています。
現在、全長約2.7kmの90%区間の整備が完了しています。
途中には2箇所の展望台があり、標高約250m付近の第2展望台からは
下のような素晴らしい風景が見られます。

白銀坂第2展望台からの眺望(姶良町海岸部と遠くに霧島連山を望む)
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江戸時代の鹿児島城下から重富-帖佐-加治木-横川-大口-「亀坂峠」(熊本県)までの
全長約70kmの街道を指します。【近世主要街道図】
『鹿児島県史』によれば、「大口筋」のほかに「出水筋」「高岡筋」の街道があり、
「これらにより、大阪・江戸へ連絡するには、通常、出水筋・大口筋では豊前小倉に、
高岡筋では日向(宮崎県)細島に出て、ともにそれより海路を取る」とあります。
「出水筋」は別名「西目筋」ともいい、鹿児島-市来湊-阿久根-出水と続き、
肥後(熊本県)との国境「境橋」までの道のりです。
また、「高岡筋」は加治木で「大口筋」と分かれ、福山-末吉-財部と経由し都城へ至る街道です。
現在の国道10号はほぼこの街道に沿っています。
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国土交通省は、歴史上重要な幹線道路として利用された街道の中で、
特に重要な歴史的・文化的価値をもつ道路を「歴史国道」に選定しています。
平成7年6月、白銀坂は第1回選定の全国12ヶ所の一つに選ばれました。
平成9年には、国道10号沿いの白銀坂の麓に
国土交通省鹿児島国道工事事務所により
専用駐車場とトイレが建設され、歩道が整備されています。
白銀坂説明板及び姶良町史跡案内板も設置してありますので、
ぜひご活用ください。