密蔵院(米山薬師別当寺)

 越後の米山薬師のことです。縁あって薬師如来を手に入れた起宗和尚が平山城の南端の山が越後の米山に似ていることからここに堂を立てました。鍋倉村と呼ばれていたこの一帯をこれ以後米山と称するようになりました。帖佐小学校が米山小学校としてスタートしたのも米山薬師があったからだろうと思われます。島津藩の三大薬師とも噂される国分下井の薬師寺と宮崎の薬師寺など,交通の要所に建てられたお寺です。以降,米山薬師は島津藩の人気スポットとして人々に受け入れられるようになりました。
 調べを進めるにつれ,全国には米山薬師は点在すること,日本三大薬師と名乗るものが多数あることなどが分かってきました。さらに,薬師如来像自体は日本全国にいくつも見受けられます。病気を治してくれる仏様として皆から大切に思われてきたからでしょうか。
 戦後,米山薬師寺ではなくて米山神社として再建されましたが,現在は薬師如来像も祀ってあり,神仏混交となっています。

鳥居があります。

3階の理科室からの眺め。
正面に総禅寺跡が見えます。

 大腹食堂の付近に立つ町門は高さ3メートルほどもあったそうで,この付近を垂れん口と呼んでいたようです。商店街が集まっていることから当時の賑わいが見えてきます。恵比寿様を祭ってあったが,現在は帖佐駅前公民館に移されているようです。
 また,八坂神社は九州自動車道を造る際に宇都の稲荷神社に合祀されました。
 左の地図は姶良町郷土誌296㌻からのものです。

 校門からの通りを仮屋馬場。
 体育館との通りを筋馬場。
 また,この頃は上別府川とよばれていたようです。

「帖佐で名所は米山薬師
 前は白帆の走り船」

 納屋町船です。
 写真は昭和10年5月13日進水式の記念写真です。
 二百石積みの川船です。一石が大人が一日三食,一年間米を食べ続けたときの消費量です。二百人分×三百六十五日=二百石。
 別府川と空港道路の交差するところにかつて納屋町御蔵があり、宮之城以東の米穀をここに集め,鹿児島方面に船で運んでいたようです。
 鉄道や貨物自動車の発達に押され,昭和十九年にはその歴史に幕を下ろすことになったようです。
 写真は「写真に見る姶良町の今昔」26㌻からのものです。  

鳥居をくぐると石段が続きます。
石を並べて作ったのではなく,岩を削って階段を作ったというお話です。

米山薬師西側入り口です。

鳥居の横には市の駐車場があります。10台近くはとめることができそうです。もちろん無料です。