校章の由来
校章の由来を確認する資料はありませんが、桜の花びらが咲き誇り、2つの稲穂がたわわに実っていることや納官小学校創立当時の記録より次のような願いが込められているのかもしれません。
桜の花びらが咲き誇り、2本の花びらが咲き誇っているのは、花いっぱいの納官小で、たくさんの学びを習得し、心と体の大いなる成長を願うことを表しているのではないでしょうか。
納官小学校創立当時の記録(納官郷土誌・中種子町歴史民俗資料館) 1871年明治5年 寺子屋創設。寺は科を受けた者の更生、戸籍事務、庶民の教育に当たっていた。原之里記念碑にある「流謫」(罪を犯して流された)の志士(国事に関係した人)僧江衛(そうのこうえい)が、慶応2年(1866)廃止になった木場寺の跡を利用して、このころ寺子屋教育を行ったことが考えられる。教科は、読み・書き・そろばんであった。一方、平田流弓術を春田仙左衛門が教えたと言われ、射場が吉良石塔下の道下、学校との間に雑竹林のまま残っていた。
校章下部の2本の矢印は、弓道の矢を示しており、学びを生かし、自分を信じてまっすぐに生きぬいてほしいという願いも込められているのではないでしょうか。ちなみに昔から弓矢は、魔除けとしても扱われており、子どもたちの安全を見守るという意味も込められているのでしょう。
校歌 学校教育目標 校訓
校歌画像をクリックすると納官小学校の校歌が視聴できます。mp3音源
学校沿革
主な年間行事予定